友達リンクって、ヘンなもの
2007/06/27 07:18
実際には、「友達」ってものの定義ですら、色々あるんだから、この、日記・フォト・動画をお知らせしたり、ログイン状況がすぐわかったり、などなどの機能が、なぜに「友達」リンク?・・・という気もする。単に、便宜上、リンク付けたほうがいいという場合にも、表面的には、「友達」と呼ばれてしまう。だから、その呼び名自体、半分便宜的なものなんだから、気にスンナよって話もあるが・・・。今現在、心情的には友達だけど、リンクは付けてないって人も、けっこういる。そういうのは、スナオにリンク付けたほうがいいのかもしれないけど、特に差し迫った必要もないので、まだやってない。(面白い動画の方がいて、リンク付けたいけど、付けると、子供に発見されるとやばいからぺけってのも・・・)知り合いで頼み込んで登録してもらって、ぜんぜんログインしてへんなぁ、というのもある。アンマリ悩むことでもないかもしれないけど、数は少ないけど、友達申請してもらって、断ったこともあるので、それって、まあ、私の都合で、相手には、少し、いやな思いさせてしまったかなあと、気にしている部分もあり・・・。友達リンクの数が多い人って、じつはちょっと、警戒しちゃうとこあるんですよね。(なぜでしょうね?)私のリンクしてる人でも、多い人はいて、その人たちは、ぜんぜん平気、OKなんですが、やっぱ、付き合いのない状態で、数だけ見ると、少し、警戒してしまいます。それはまたそれで、偏見なんですけどね。だから、自分がそうなってしまうゆえに、自分がそう思われたくない(自分のように感じる人からは)ということもあって、あまり、リンクは、増やしたくないのかもしれません。イロイロ思うところが多くって、まだ書きたりないようなきもしますが、とりあえず、このへんで。いろんな、ご意見伺いたいです。
2009年9月14日月曜日
渋谷陽一氏に関する日記
渋谷さん、お元気で何よりでした~。
2007/06/25 08:22
ぎゃあ!渋谷さんの誕生日(通称ロックの日)に、情報をいただいた(やすべーさん、かさねがさね、ありがとうございまする)NHK-FMの番組ですが、一回忘れてたんで、ようやく、二週間後に、初チェックいたしました。それはそうと、タイトルが、けっこうすごかったす!いや、聞いてるとき、つか、新聞でチェックしたときにも、ああ、これね、これこれ、と、渋谷さんの番組を発見したってことだけで、どっかショートしてたんだと思いますが、冷静になってみると、さすがは渋谷陽一だぜと唸らせる、まことにステッキーなタイトルでしたし・・・。その名も、「ワールド・ロック・ナウ」・・・じゃじゃ~ん!!「ヤング・ジョッキー」「サウンド・ストリート」に、決して、引けをとらない、微妙さ加減!さすがは天下のNHKとのコラボ!思わず、涙がにじんでくるのは、私だけなのでしょう、きっと。本当は、内容について、も少しコメントするべく、メモをとりながら聴いていた私でしたが、いざ、書こうとして、このタイトルのすごさに、気づいてしまい・・・もう、胸がいっぱいで、書けなくなってしまいました。(ちょっと、誇張)さて次の回、月末リクエスト特集は、6月30日、23:00からです。リクエストのあて先は、〒150-8001 NHK-FM ワールド・ロック・ナウ 通常のリクエストも随時受け付けているそうですから、どんどんリクエストいたしましょう。しかし、そういえば、昔からず~っとやってるんだな、この、月末リクエスト特集って・・・。初心者は、渋谷さんあてのリクエストのノリを、月末リクエスト特集にて、体験なさるとよいかもしれません。も少し、インターバル置いて、また渋谷さんのことは書いていきたいと思います。さ~て、何人ついてこれるのでしょうか・・・?はぁ~・・・
2007/06/25 08:22
ぎゃあ!渋谷さんの誕生日(通称ロックの日)に、情報をいただいた(やすべーさん、かさねがさね、ありがとうございまする)NHK-FMの番組ですが、一回忘れてたんで、ようやく、二週間後に、初チェックいたしました。それはそうと、タイトルが、けっこうすごかったす!いや、聞いてるとき、つか、新聞でチェックしたときにも、ああ、これね、これこれ、と、渋谷さんの番組を発見したってことだけで、どっかショートしてたんだと思いますが、冷静になってみると、さすがは渋谷陽一だぜと唸らせる、まことにステッキーなタイトルでしたし・・・。その名も、「ワールド・ロック・ナウ」・・・じゃじゃ~ん!!「ヤング・ジョッキー」「サウンド・ストリート」に、決して、引けをとらない、微妙さ加減!さすがは天下のNHKとのコラボ!思わず、涙がにじんでくるのは、私だけなのでしょう、きっと。本当は、内容について、も少しコメントするべく、メモをとりながら聴いていた私でしたが、いざ、書こうとして、このタイトルのすごさに、気づいてしまい・・・もう、胸がいっぱいで、書けなくなってしまいました。(ちょっと、誇張)さて次の回、月末リクエスト特集は、6月30日、23:00からです。リクエストのあて先は、〒150-8001 NHK-FM ワールド・ロック・ナウ 通常のリクエストも随時受け付けているそうですから、どんどんリクエストいたしましょう。しかし、そういえば、昔からず~っとやってるんだな、この、月末リクエスト特集って・・・。初心者は、渋谷さんあてのリクエストのノリを、月末リクエスト特集にて、体験なさるとよいかもしれません。も少し、インターバル置いて、また渋谷さんのことは書いていきたいと思います。さ~て、何人ついてこれるのでしょうか・・・?はぁ~・・・
クリスチャンになったいきさつ
クリスチャンになったいきさつ(其の一)
2007/06/21 05:56
WHY?なぜ、クリスチャンになったのか、といえば、それは、神様がそうしてくれたから、ということになってしまいます。HOW?どのようにして、クリスチャンになったのか、というと、それにはきっと、私の思いも及ばない神様のご計画が、そこかしこに隠されていたのでは・・・?と、思うのですが、私が現段階で、わかる範囲で、お話したいと思います。私は、本好きのこどもでした。しかも、結婚していなくてこどものいない伯母があって、盆と正月に会うたびに、本を買ってくれました。しかも、ナントカ全集みたいのまで、買ってくれ、以後、毎月、本が届きました。その中には、キリスト教信仰をバックボーンとする作品も、数多く含まれていました。おそらくは、人間がどうあるのが幸せか、という価値観を幾分その辺から嗅ぎ取っていたのではないかと思われます。クリスチャンは、自殺しちゃいけないのに、自殺する人もいる。という情報が、わりと早期にインプットされました。母の、若いころの文通相手の人がそうだったとのことでした。母は、その人からもらった聖書を所持していました。親戚の、お兄ちゃんが、東京で自殺した、クリスチャンだった、という話もありました。そのころ、漫画で得た知識で、自殺するとお葬式を出してもらえないと思っていたので、だから、仏教で葬式をしたのかなあ、それにしても、よくわからないなあ・・・、などと、考えていました。キリスト教について、よいイメージと、悪い、というか、不可解なイメージを持ちつつ、でもどこか、惹かれている部分があったように、今にしてみれば、思われます。いい感じの神様みたいなのに、何で自殺なんかするのかな、というふう。両親は、共働きで、夜勤とか、単身赴任とか、なかんじで、けっこう、じつは、親の愛情には、飢えていたようです。悪い親ではなく、祖母もいたので、特に不自由はなかったですが、こどもは案外、親の愛には、貪欲というか、必要所要量が大きいんじゃないでしょうか。その上、コミュニケーション不足から、あるいは、余裕のなさか、不器用さのゆえに、親には、話してもわかってもらえないというイメージを強く持っていました。友達に、先生に、その穴を埋めてもらいたい願望がありましたが、うまくいきません。誰も、私をわかってくれる人は、いない、と、次第にわかってきました。今では、少しずつなら、わかってもらえることもある、ぐらいに思っていますが、当時(中学ぐらい)のかんじでは、ともかく、不可能に思えました。生きているのがいやになって、自殺を考えました。痛い、苦しい、などもいやでしたが、自殺にどうしても踏み切れなかったのは、可能性の話として、もし、生きていたなら、何かいいことがある可能性が、ないと言い切れるのか?というところでした。このまま何十年と、生き恥を、さらし続けるにしても、もし、それを償って余りある大どんでん返しが、人生のおわりによういされているとしたら・・・?そう考えると、みすみす何もかも捨てて、よいものがあるとも思えない、死後の世界へ、あるいは何もない世界へ、引き返すことのできない世界へ、行くことは、できませんでした。仕方なく、毎日おもい体を引きずって、学校へ行き、図書室に入りびたりました。先人の知恵を、さがしてみようとおもったのです。さがして、さがして、見つからなければ、今度こそ、決心がつく時が来るのかもしれない、と思いながら・・・。・・・丁寧に書いていたので、長くなっております。あんまり長いのを一度にアップするのは、趣味じゃないので、今日はこの辺にします。
クリスチャンになったいきさつ(其の二)
2007/06/22 07:38
最初に、図書室で、目にとまったのは、ヘルマン・ヘッセの名言集みたいなやつでした。その中で、一番心に響いたのは、字句どおりは覚えていませんが、一日の労苦の終わりに、眠りが与えられるように、一生の終わりに、死が与えられる、・・・というような言葉でした。がんばって、生きていって、初めて、休みとして、ゴホウビとしての、死が与えられる、ということでしょうか。あるいは、ただただ、生きることはつらいが、最後には休めるんだよって言うことでしょうか。いずれにしても、少し、救われたような感じがしました。私と同じように、生きることがむなしいと感じている人、死が慕わしいと感じている人が、やはり現実にいるのだ、ということが・・・。しかし、それだけでは、死ぬのを待つだけの生であって、まだ、もっとほかにないのかと思いました。やっぱ、宗教なのかなあ、とおもって、宗教のところをさがしました。でも、いなかの中学の図書室ですから、ろくにおいてません。あったのは、ホテルとかによく置いてある、英和対訳の仏教聖典と、子供向けに書いた、聖書物語だけでした。仏教聖典は、大人向けだったのもあって、よくわかりませんでした。聖書物語は、たしか、旧約が3冊、新約が2冊に分かれたものでした。旧約は、3冊そろってはなかったので、いきなり新約の上巻から読みました。イエス・キリストについての知識は、ほとんどないに等しい状態でした。そういえば、母が持っていた、新約聖書を少し、その前に読んではいましたが、やはりよくはわからなかったんです。でも、イエス様が、弟子たちに、祈りを教えるところがあって、そこを読んだときには、これを祈ると、いい子になれるかもしれない、とおもって、しばらくその言葉で、祈っていたこともありました。たぶん、その祈りが、聞かれていた、ということはあると思います。普通に、ぐいぐいと、聖書物語は、読めました。すぐに、下巻が読みたくなって、借りて読みました。そして、その最後、イエス様が、罪びとの、罪の身代わりになって、十字架にかかって死なれた、ということが、実際に、私のため、私を救うため、私を、生かすため、であったとうことが、なぜだか、すんなりと、心に、スト~ン、と、入ってきたのです。ああ、生きていても、いいんだ。こんな、何の役にも立たない、誰からも必要とされていないような私だけど、イエス様は、その私のために、死んでくれたんだから・・・。その日から、イエス様だけが、本当に、私の友達でした。友であり、父であり、兄であり、母ですらありました。よく使う表現ではありますが、ほんとうに、わたしのすべて、です。その後にも、色々つらいことにも出会い、死にたくなることも、何度もありました。でも、そのたびに、わたしに代わって死んでくれた方のゆえに、やっぱり、死ねないって、思いました。死なないように、してくれた神様なんだから、いつかきっと、いいようにしてくれる、と信じてきました。基本的には、わたしは、自分にも、世間にも、ニンゲンにも、ほとんど絶望しています。それでも、イエス様が、わたしを、生かしてくれた以上、決して、このままということはない、と信じています。行きつ戻りつかもしれないけれど、これまでも、確実に、前に、進んでこれたのは、イエス様に、信頼してついてきたからです。わたしは、イエス・キリストが、神であり、この世を救ってくださる方である、と、信じています。それが、私の、生きる力の、すべてです。其の一、其の二ときましたが、このはなしは、ここでおしまいです。中3のとき、その本を読んでから、そろそろ30年近くになります(歳を計算しましょう)から、その間には、ほんとうにいろんなことがありました。つらかったことも今ではいい思い出、って感じです。これからは、この世の中を、神様がどう導いていってくれるのか、それを楽しみに生きていこうと思っています。
2007/06/21 05:56
WHY?なぜ、クリスチャンになったのか、といえば、それは、神様がそうしてくれたから、ということになってしまいます。HOW?どのようにして、クリスチャンになったのか、というと、それにはきっと、私の思いも及ばない神様のご計画が、そこかしこに隠されていたのでは・・・?と、思うのですが、私が現段階で、わかる範囲で、お話したいと思います。私は、本好きのこどもでした。しかも、結婚していなくてこどものいない伯母があって、盆と正月に会うたびに、本を買ってくれました。しかも、ナントカ全集みたいのまで、買ってくれ、以後、毎月、本が届きました。その中には、キリスト教信仰をバックボーンとする作品も、数多く含まれていました。おそらくは、人間がどうあるのが幸せか、という価値観を幾分その辺から嗅ぎ取っていたのではないかと思われます。クリスチャンは、自殺しちゃいけないのに、自殺する人もいる。という情報が、わりと早期にインプットされました。母の、若いころの文通相手の人がそうだったとのことでした。母は、その人からもらった聖書を所持していました。親戚の、お兄ちゃんが、東京で自殺した、クリスチャンだった、という話もありました。そのころ、漫画で得た知識で、自殺するとお葬式を出してもらえないと思っていたので、だから、仏教で葬式をしたのかなあ、それにしても、よくわからないなあ・・・、などと、考えていました。キリスト教について、よいイメージと、悪い、というか、不可解なイメージを持ちつつ、でもどこか、惹かれている部分があったように、今にしてみれば、思われます。いい感じの神様みたいなのに、何で自殺なんかするのかな、というふう。両親は、共働きで、夜勤とか、単身赴任とか、なかんじで、けっこう、じつは、親の愛情には、飢えていたようです。悪い親ではなく、祖母もいたので、特に不自由はなかったですが、こどもは案外、親の愛には、貪欲というか、必要所要量が大きいんじゃないでしょうか。その上、コミュニケーション不足から、あるいは、余裕のなさか、不器用さのゆえに、親には、話してもわかってもらえないというイメージを強く持っていました。友達に、先生に、その穴を埋めてもらいたい願望がありましたが、うまくいきません。誰も、私をわかってくれる人は、いない、と、次第にわかってきました。今では、少しずつなら、わかってもらえることもある、ぐらいに思っていますが、当時(中学ぐらい)のかんじでは、ともかく、不可能に思えました。生きているのがいやになって、自殺を考えました。痛い、苦しい、などもいやでしたが、自殺にどうしても踏み切れなかったのは、可能性の話として、もし、生きていたなら、何かいいことがある可能性が、ないと言い切れるのか?というところでした。このまま何十年と、生き恥を、さらし続けるにしても、もし、それを償って余りある大どんでん返しが、人生のおわりによういされているとしたら・・・?そう考えると、みすみす何もかも捨てて、よいものがあるとも思えない、死後の世界へ、あるいは何もない世界へ、引き返すことのできない世界へ、行くことは、できませんでした。仕方なく、毎日おもい体を引きずって、学校へ行き、図書室に入りびたりました。先人の知恵を、さがしてみようとおもったのです。さがして、さがして、見つからなければ、今度こそ、決心がつく時が来るのかもしれない、と思いながら・・・。・・・丁寧に書いていたので、長くなっております。あんまり長いのを一度にアップするのは、趣味じゃないので、今日はこの辺にします。
クリスチャンになったいきさつ(其の二)
2007/06/22 07:38
最初に、図書室で、目にとまったのは、ヘルマン・ヘッセの名言集みたいなやつでした。その中で、一番心に響いたのは、字句どおりは覚えていませんが、一日の労苦の終わりに、眠りが与えられるように、一生の終わりに、死が与えられる、・・・というような言葉でした。がんばって、生きていって、初めて、休みとして、ゴホウビとしての、死が与えられる、ということでしょうか。あるいは、ただただ、生きることはつらいが、最後には休めるんだよって言うことでしょうか。いずれにしても、少し、救われたような感じがしました。私と同じように、生きることがむなしいと感じている人、死が慕わしいと感じている人が、やはり現実にいるのだ、ということが・・・。しかし、それだけでは、死ぬのを待つだけの生であって、まだ、もっとほかにないのかと思いました。やっぱ、宗教なのかなあ、とおもって、宗教のところをさがしました。でも、いなかの中学の図書室ですから、ろくにおいてません。あったのは、ホテルとかによく置いてある、英和対訳の仏教聖典と、子供向けに書いた、聖書物語だけでした。仏教聖典は、大人向けだったのもあって、よくわかりませんでした。聖書物語は、たしか、旧約が3冊、新約が2冊に分かれたものでした。旧約は、3冊そろってはなかったので、いきなり新約の上巻から読みました。イエス・キリストについての知識は、ほとんどないに等しい状態でした。そういえば、母が持っていた、新約聖書を少し、その前に読んではいましたが、やはりよくはわからなかったんです。でも、イエス様が、弟子たちに、祈りを教えるところがあって、そこを読んだときには、これを祈ると、いい子になれるかもしれない、とおもって、しばらくその言葉で、祈っていたこともありました。たぶん、その祈りが、聞かれていた、ということはあると思います。普通に、ぐいぐいと、聖書物語は、読めました。すぐに、下巻が読みたくなって、借りて読みました。そして、その最後、イエス様が、罪びとの、罪の身代わりになって、十字架にかかって死なれた、ということが、実際に、私のため、私を救うため、私を、生かすため、であったとうことが、なぜだか、すんなりと、心に、スト~ン、と、入ってきたのです。ああ、生きていても、いいんだ。こんな、何の役にも立たない、誰からも必要とされていないような私だけど、イエス様は、その私のために、死んでくれたんだから・・・。その日から、イエス様だけが、本当に、私の友達でした。友であり、父であり、兄であり、母ですらありました。よく使う表現ではありますが、ほんとうに、わたしのすべて、です。その後にも、色々つらいことにも出会い、死にたくなることも、何度もありました。でも、そのたびに、わたしに代わって死んでくれた方のゆえに、やっぱり、死ねないって、思いました。死なないように、してくれた神様なんだから、いつかきっと、いいようにしてくれる、と信じてきました。基本的には、わたしは、自分にも、世間にも、ニンゲンにも、ほとんど絶望しています。それでも、イエス様が、わたしを、生かしてくれた以上、決して、このままということはない、と信じています。行きつ戻りつかもしれないけれど、これまでも、確実に、前に、進んでこれたのは、イエス様に、信頼してついてきたからです。わたしは、イエス・キリストが、神であり、この世を救ってくださる方である、と、信じています。それが、私の、生きる力の、すべてです。其の一、其の二ときましたが、このはなしは、ここでおしまいです。中3のとき、その本を読んでから、そろそろ30年近くになります(歳を計算しましょう)から、その間には、ほんとうにいろんなことがありました。つらかったことも今ではいい思い出、って感じです。これからは、この世の中を、神様がどう導いていってくれるのか、それを楽しみに生きていこうと思っています。
マンネリになってきた感じの日記
「意見」についての日記
先生づらって・・・?
2007/06/15 16:27
少し前に、ある人の日記である人がつけたコメントで、「ここは先生づらした人が多いね」ってあったんですよ。それを書いた人がどうということではなくって、自分のなかで、この言葉が妙に、引っかかってたんですよ。ン~、確かにそういわれればそういうとこあるかなあ、でも、そんなこと言われたら、コメントなんて、何書けばいいんだろう・・・、って感じで。で、色々考えたんですが、日本では昔から、儒教的って言うか、目上の人に口答えなんかしちゃだめって、心情があったりします。先生って呼ばれる人ってのは、必ず、目上の人なんで、それは、口答えしてはいけない対象なんです。そうすると、何か思ったことがあっても、発言していいのは、先生と呼ばれる人だけってことになるんじゃないでしょうか。おおざっぱに言うとね。つまり、こういうところでは、自分の思ったことを日記に書いたり、それに対して思ったことをコメントしたり、みんな、「自分の意見を述べる」ことをメインにおこなっているんだから、あったりまえなんですよ、みんな先生づらでな~んだって思いましたなんか、この言葉(先生づら)に引っかかってる人が私以外にもいたように思うんで、ちょっと私なりに考えてみました。いかがでしょうか?もし、誰かのコメントにカチン!と来ることがあっても、それは、相手も(自分も)先生さまなんだから、しょうがないんですよ。お互いに、そういうもんだとおもって、ただの、ほかの先生様の《意見》だと思って、冷静に、受け止めていきましょうよ。ねえ?
2007/06/15 16:27
少し前に、ある人の日記である人がつけたコメントで、「ここは先生づらした人が多いね」ってあったんですよ。それを書いた人がどうということではなくって、自分のなかで、この言葉が妙に、引っかかってたんですよ。ン~、確かにそういわれればそういうとこあるかなあ、でも、そんなこと言われたら、コメントなんて、何書けばいいんだろう・・・、って感じで。で、色々考えたんですが、日本では昔から、儒教的って言うか、目上の人に口答えなんかしちゃだめって、心情があったりします。先生って呼ばれる人ってのは、必ず、目上の人なんで、それは、口答えしてはいけない対象なんです。そうすると、何か思ったことがあっても、発言していいのは、先生と呼ばれる人だけってことになるんじゃないでしょうか。おおざっぱに言うとね。つまり、こういうところでは、自分の思ったことを日記に書いたり、それに対して思ったことをコメントしたり、みんな、「自分の意見を述べる」ことをメインにおこなっているんだから、あったりまえなんですよ、みんな先生づらでな~んだって思いましたなんか、この言葉(先生づら)に引っかかってる人が私以外にもいたように思うんで、ちょっと私なりに考えてみました。いかがでしょうか?もし、誰かのコメントにカチン!と来ることがあっても、それは、相手も(自分も)先生さまなんだから、しょうがないんですよ。お互いに、そういうもんだとおもって、ただの、ほかの先生様の《意見》だと思って、冷静に、受け止めていきましょうよ。ねえ?
国についての日記
国がほしいか?
2007/06/01 06:56
最近、十二国記を、読み返しております。やっぱ、面白いなあ・・・。まあ、人によって、いろいろなんで、たぶん、私にとって、すごくつぼにはまった作品なんでしょう。延麒が、尚隆(延王)に、ゆったセリフ、これがねえ・・・。誰か、これでぐっと来る人っているの?「国がほしいか?」私なんか、泣けちゃいますから。ちょっと、おかしいですよね?たぶん、私ってば、日ごろ、「日本人は・・・」とか「日本は・・・」って、馬鹿にしまくってますけど、たぶん、・・・すんげえ、好きなのな、にっぽんが。にっぽん、よくなってほしい、その気持ちが、いろんな愚痴とか、苦言とかに、行っちゃってたんだね。でさ、十二国記って、そもそも、国づくりっていうか、基本的に、王様の話じゃん。現実の政治家とかの人は、何を考えてるか、ほんとのところはわからないけど、この話に出てくる王様って、けっこう、理想に近いんだね、私にとって。たぶん、そういう、王様のような、考え方を、たくさんのひとが、してくれたら、私にとっては、理想の社会に近づくって事なのさ。だから、読んでて、非常に楽しいってわけ。ワリカシ、旧めの本だけど、いくらか、ファンもいるはずだと思います。もし、ファンの方、いらっしゃったら、コメントもらえると嬉しいです
2007/06/01 06:56
最近、十二国記を、読み返しております。やっぱ、面白いなあ・・・。まあ、人によって、いろいろなんで、たぶん、私にとって、すごくつぼにはまった作品なんでしょう。延麒が、尚隆(延王)に、ゆったセリフ、これがねえ・・・。誰か、これでぐっと来る人っているの?「国がほしいか?」私なんか、泣けちゃいますから。ちょっと、おかしいですよね?たぶん、私ってば、日ごろ、「日本人は・・・」とか「日本は・・・」って、馬鹿にしまくってますけど、たぶん、・・・すんげえ、好きなのな、にっぽんが。にっぽん、よくなってほしい、その気持ちが、いろんな愚痴とか、苦言とかに、行っちゃってたんだね。でさ、十二国記って、そもそも、国づくりっていうか、基本的に、王様の話じゃん。現実の政治家とかの人は、何を考えてるか、ほんとのところはわからないけど、この話に出てくる王様って、けっこう、理想に近いんだね、私にとって。たぶん、そういう、王様のような、考え方を、たくさんのひとが、してくれたら、私にとっては、理想の社会に近づくって事なのさ。だから、読んでて、非常に楽しいってわけ。ワリカシ、旧めの本だけど、いくらか、ファンもいるはずだと思います。もし、ファンの方、いらっしゃったら、コメントもらえると嬉しいです
先入観に関する日記
ちょっと間が開いてしまったね。
2007/05/25 06:39
色々書きたいことが浮かんでは消え、何を最初に書こうか迷ってしまいます。少し体調くずしてたので、思うように、バリバリとは書けなかったのです。人を、判断するときに、必ず何かの、先入観というものは、入ってこざるを得ない、ということを考えています。「デスノート」で、魅上クンは、人間には、イイのと悪いのしかないといってましたが、マア、それも一種の先入観。そうきめて見れば、そう見えてくるということもあるのです。アニメのキャラで、誰がいいとか、そういう話をしてて、思ったんですが、あれは、実在しないんですよね、当たり前だけど。だから、先入観の塊のようなもので、見る人の数だけ、違うキャラが存在するって感じです。まだ、アタマがしゃきっとしてないかんじで、うまく話が進みませんが、・・・・・・何が言いたかったのかな。あ、新しく知り合いになるときに、何かキーワードが、手に入るじゃないですか。それって、すでに、先入観を形成してしまうんですよ、ネ?そのキーワードで、その人を判断するしか、材料がないわけですから、仕方ないんですけどね。その場合、そのキーワードについて、どれだけ幅広いイメージを持つことができるかってあたりが、ポイントかなあって思います。日本人って言うと、めがねとカメラと団体行動、ってのもありましたよね。今、自分が持ってる、いろんなカテゴリーに対する、イメージを、まず、疑ってみる。これ、大事ですよ。これで、ものすご~く、発想の幅が広がります。具体的には、初めての人、初めての情報に接したときに、あるキーワードを聞いて、「あっすてきっ」と、思っちゃったか、もしくは「げっやばいじゃん」と、思っちゃったか。そのどちらにせよ、はっきりとした反応が出た事柄については、トライする価値ありです。その人を、そのことで、色眼鏡かけてみていることがあきらかですから。いろんな情報で総合的にって場合でも、その中に紛れ込んでる、強いキーワードに影響されていないか注意すべきでしょう。警戒するのは、あるていど必要なことです。でも、完全にシャットアウトってのは、どうかな、もったいないんじゃないかな、と思うんです。だから、どこかで、阿呆な私を見ても、見捨てないでオクレ・・・・・・それが、結論か???
2007/05/25 06:39
色々書きたいことが浮かんでは消え、何を最初に書こうか迷ってしまいます。少し体調くずしてたので、思うように、バリバリとは書けなかったのです。人を、判断するときに、必ず何かの、先入観というものは、入ってこざるを得ない、ということを考えています。「デスノート」で、魅上クンは、人間には、イイのと悪いのしかないといってましたが、マア、それも一種の先入観。そうきめて見れば、そう見えてくるということもあるのです。アニメのキャラで、誰がいいとか、そういう話をしてて、思ったんですが、あれは、実在しないんですよね、当たり前だけど。だから、先入観の塊のようなもので、見る人の数だけ、違うキャラが存在するって感じです。まだ、アタマがしゃきっとしてないかんじで、うまく話が進みませんが、・・・・・・何が言いたかったのかな。あ、新しく知り合いになるときに、何かキーワードが、手に入るじゃないですか。それって、すでに、先入観を形成してしまうんですよ、ネ?そのキーワードで、その人を判断するしか、材料がないわけですから、仕方ないんですけどね。その場合、そのキーワードについて、どれだけ幅広いイメージを持つことができるかってあたりが、ポイントかなあって思います。日本人って言うと、めがねとカメラと団体行動、ってのもありましたよね。今、自分が持ってる、いろんなカテゴリーに対する、イメージを、まず、疑ってみる。これ、大事ですよ。これで、ものすご~く、発想の幅が広がります。具体的には、初めての人、初めての情報に接したときに、あるキーワードを聞いて、「あっすてきっ」と、思っちゃったか、もしくは「げっやばいじゃん」と、思っちゃったか。そのどちらにせよ、はっきりとした反応が出た事柄については、トライする価値ありです。その人を、そのことで、色眼鏡かけてみていることがあきらかですから。いろんな情報で総合的にって場合でも、その中に紛れ込んでる、強いキーワードに影響されていないか注意すべきでしょう。警戒するのは、あるていど必要なことです。でも、完全にシャットアウトってのは、どうかな、もったいないんじゃないかな、と思うんです。だから、どこかで、阿呆な私を見ても、見捨てないでオクレ・・・・・・それが、結論か???
登録:
投稿 (Atom)
