ブログにしても、SNSとやらにしても、ネットの世界は、やはり疲れます。
べつにそれが、すなわち悪いってことではないですが、情報量が多ければそれだけ、
ない頭も強制的に働かされちゃいますからね。
休んでる間にも、いろいろなことが起こり、いろいろなことを考えたんですが、
政治家、あるいは、政党を支持するってことについて。
今、一応、ココロん中では、ある市議会議員の先生・・・おっと、これはだめだめ。
この方は、こう呼ばないでっていってるんだった。
で、その議員さんの応援してる気持ちはあるんですが、
何でそうしてるか、っていうと、その方の場合、実績もないし(新人なので)、
いってることが、ピンと来るってだけのことなんですよ。
実績が、仮にあったとしても、やっぱり、各人が判断するところの、その方のひととなりってやつが、
最後には、決め手になるんでしょう、と思います。
また、選挙が、やってきます。
信用できる人、もしかしたらあとで裏切られるかもしれないけど、ともかく、投票したいって、
スナオに思える人、あるいは党がある人は、幸せですね、ある意味。
でも、もう、民主党も、こういっちゃなんだけど、すでに期待感うすれてきて、
じゃあ、どうするって考えるときに、
心から信じることはできなくっても、応援、とか、支持とかって、
やって行っていいんじゃないかな、と思いました。
この考え方で行くと、むしろ、安倍さん支持しちゃうって線も無きにしも非ずなんですが、
つまり、全面的には賛成できなくっても、期待し、任せていくって感覚です。
「十二国記」シリーズの中のある話に出てくるおばちゃんがいってたことなんですがね、
責めるだけでは、正すことはできないと。
悪いと指摘するならどうするのが正しいのか、示すべきだと。
ただ非難するだけでは、正しいと信じてがんばってる為政者に対して、あまりに安易ではないかと。
カナリ自分の解釈はいってるかも知れませんが、そんな感じで。
マア、そんなで、ちょっと、考えさせられちまいました。
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